私見偏見独白

No.052 かなた・こなた

この「私見偏見独白」を始めたとき, 教育や社会問題への私見と,
自分自身の日常のエッセイを分けて, 別々のパートにしたのですが,
それぞれのパートに「Prerelease」と「本論」という芸のない仮のタイトルをつけて,
後々気の利いたものにしようと思っていました。
しかし, 怠惰にまかせてそのまま放置し,
Prerelease は100話を超え, 本論も50話を超えてしまいました。
そこで, さすがにそれらしいタイトルをつけようと奮起したのです。

戦前戦後と活躍した正木ひろしという人がいます。
人権派弁護士として冤罪事件に熱心に取り組み,
日本のペリー・メースンと呼ばれた人です。
戦時中に官憲の拷問を告発した「首なし事件」で名をはせました。

その人が戦前の1912年から戦後の1943年まで発行していた個人雑誌が「近きより」です。
当初は社会問題を扱うようなこともなく、
まさに個人的な随想や法律問答のような内容でしたが,
1939年に中国大陸を旅行し, 現地での日本軍による抑圧を目にし,
帰国後は軍部への批判を行うようになったのです。
当然, 検閲や発禁の対象となり, 何度も配管要請を受けたのですが,
戦時中もほぼ月刊を維持し続けました。

普通では無事に済まないところですが, 弁護士として法律に詳しく,
さらには学生時代からの友人が法曹界や警察関係にいて,
権力と対峙できていたようです。先に述べた「首なし事件」で名をはせていたことも
大きかったのではないかと思います。

「彼方より」はこの正木ひろしの雑誌「近きより」にならったものです。
なぜ「彼方(かなた)」なのか。

野坂昭如という作家がいました。アニメ映画「蛍の墓」の原作者ですね。
反戦やリベラルな主張でしられていたのですが, 新聞のコラムでなぜそのような
主張なのか書いています。
曰く,
戦前の反戦活動家や共産党員のような精神力はないと。
この先また戦前のような時代になったとして, ちょっと拷問されれば
意気地なしにもすぐに友人知人の名前をあげてでっち上げに協力してしまうだろう。
そんなことになって欲しくないので, 今声を上げているのですと。
(要旨です。実際の文章とは違います。)

小生も同じで, 日頃政治批判をしていますが,
身体を張って自由と人権のために戦えるかどうか確信が持てません。
野坂氏と同じように, 今声を上げているのが精一杯です。
それどころか, 野坂氏と違ってネットの片隅でこっそりと声をあげているだけです。
そこで「近きより」の反対で「彼方より」としました。
先頭に立つ根性もなく, 遠くから声を上げているだけの自分に自虐の意味を込めて……

「彼方より」が決まれば, 自分自身のことを述べる方は「此方(こなた)より」で決まりです。



決して, 「らき☆すた」のキャラ「泉こなた」と「泉かなた」からとったんじゃぁないんだからね!
勘違いしないでよね(^^;