私見偏見独白

No.000-99 社会経験

教育に関するネットの話題で, 正解不正解の判断基準がおかしいのではという指摘がしばしばあります。
特に小学校レベルの国語や算数が多い感じがします。
曰く, 「まだ習っていない漢字を使ったら×にされた」
曰く, 「掛け算の順番が違っていたら×」
曰く, 「授業と異なる方法で解答したら×」
曰く, ……

ほとんどの指摘は教師の杓子定規な対応を批判しいます。
対応の拙さを指摘しながらも, そうせざるを得ない教師側の事情を斟酌する書き込みも少数ながらあります。
まだ習っていない知識や解法を身につけているような児童にはそれにあった指導が望ましいと思いますが,
出来ない児童, 出来る児童ごとにそれぞれ適切な対応をするには教師の数が全くたりません。
ひとクラスあたりの人数も多すぎます。
そのような環境を考慮せず, 「海外では……」まどと比較して教師の対応の拙さを指摘しても無意味かと思います。

そんな批判の中でしばしば見かける主張があります。
曰く. 「教師は社会経験がない。社会常識がない。社会を知らない」
という批判です。
批判者にとって学校はどうやら異世界のようです。
学校もまた社会の一部であることを忘れているようです。
確かに, 大学をでてすすぐに教師となり, 民間企業での経験がない教師が大部分かと思います。
教師は学校しか知らないという指摘ですね。

しかし, それは教師でなくても同じ事です。
大学を出てすぐに会社につとめた人は,
他業種に転職でもしないかぎりその会社その業種の経験しかありません。
研究職となって研究一筋であれば極めて限られた社会経験しかなさそうです。
エンジニアにしてもプログラマにしても同様かと思います。
えっ, 理系の研究オタクは別ですか。
それは結局自分の常識と同じ常識を共有しない人を認めていないだけでしょう。
学校の常識は社会の非常識ですか。
営業の常識は学校の非常識ですね。
むしろ多くの教師の方は学生時代にアルバイトなどで社会経験がありますが,
民間企業の多くの社会人は生徒の経験はあっても教師の経験などありませんね。

会社に勤めていたら多くの人と接する機会がある…
教師も多くの保護者と接しています。
接する人の多様さ, 職業や社会階層の多さは一般社会人よりも多い気がします。
結局, すべての人に共通の常識というのは
職業に関係のない日常生活レベルの常識を除けば, ただの幻想です。

学校の, そして教育の問題点は数多くありますが,
その原因は教師の民間企業での経験の有無などとはほとんど無関係であると思います。