私見偏見独白

No.000-92 足並みを揃える

コロナワクチンの副作用のため登校できなかった児童のために,
授業をタブレットで撮影していつでも見られるようしていた教員に対して
同僚の教員が
「先生がやっていたら他(の教員)もやらくてはいけなくなるから」
といわれたという話を聞いて
悪い方に揃えるんじゃ意味ないよね・・・
との投稿があるのを見ました。

このような話を見聞きするのはこれが初めてではなく, 結構な頻度で聞きます。
悪い方に揃えるのでは足の引っ張り合いだと。
では生徒の為になるように良い方に揃えれば良いのでしょうか。

良く考えるとそう簡単な事ではありません。
例えば, 独身で私的時間にゆとりのある教員が放課後を使って児童生徒との面談をまめに行っていたとします。
生徒との面談を通して問題点の把握や適切な指導を早期に行うことは良いことに違いありません。
クラス通信のようなものを頻繁に出して生徒へはもちろん家庭への情報を届けるのも良いことと思います。
知識と技術のある教員が情報機器を積極的に活用した授業を行うことも良いことでしょう。
各教員がそれぞれの持てる知識や技術, 私的な境遇を活用して授業やクラス運営に生かすのは素晴らしいことだと言えます。
しかし, ある教員がやっている実践を"足並みを揃える"という御旗のもとで
他の教員もやることになれば教員の負担は大変なことになります。
大勢の教員の長所をすべて兼ね揃えたスーパー教師が求められることになります。
ある教員ができることを他の教員が出来るとは限りません。
あの先生が良いことを実践しているのだから他の先生も・・・
という強制あるいは(管理職あるいは保護者, 児童生徒からの)暗黙の圧力が生じるのであれば,
ひとりだけ勝手に突っ走るなという「足の引っ張り合い」が生じるのも無理なことではないと思います。

とはいえ, 「足並みを揃えて」何もしないという「足の引っ張り合い」が望ましくないことは明らかです。
何が問題か。
「足並みを揃える」ということから脱却しない限り解決の道はなさそうです。
でもこれは難しそうです。
「よそのクラスの担任は面談を熱心にやってくれる。うちの担任にも面談をして欲しい」
という保護者の要求を
「うちはうち, よそはよそ」
とはねつけることの出来る教員は, まぁめったにいないでしょう。
それぞれの先生の良い実践を他の先生も「足並みを揃えて」実践するには
その実践をするのが困難な先生をサポートするスタッフが十分に存在することが必須です。
今の日本の教育現場で可能かと言われれば, 不可能としか答えられないでしょう。
良い実践どころか, 何もしない方に足並みを揃えてさえ過酷な労働を今の多くの教員はさせられているのですから。