私見偏見独白

No.000-84 社会的制裁

少し前の事ですが, 京都だったか, 飲酒(酒気帯び?)運転で物損事故を起こして懲戒免職となった公務員が
退職金も支払われないのは過剰な処分だとして訴えていた裁判の判決が出て,
訴えた側の勝訴となったというニュースが報じられました。

この判決を下した裁判官に対して, ヤフコメなどでは批判・非難が圧倒的でした。
近年,飲酒が引き起こした悲惨な事故を受けて飲酒運転に対する罰則が強化されてきました。
酒を全く飲まない小生としては, 酒を飲んでの運転に対してはもっと厳しい罰則を科しても良いと思っています。
特に死亡事故に関しては過失致死ではなく, 未必の故意を認めて殺人罪に問うても良いとさえ思います。
過失で飲酒をするなんてことは, 普通はありません。 この社会的風潮に押されて, 公務員の場合は免職になるケースが多いようです。
特に事故を起こした場合には懲戒免職となり退職金もでません。
これは正しいことでしょうか。

懲戒処分は法が命じている罰則ではない, いわゆる社会的制裁というものです。
量刑を下す際にしばしば聞く「社会的制裁を受けている」という文言ですが,
これは法に基づいて下されるべき罰則を社会に肩代わりさせていることになります。
極論すれば, これは村八分の思想です。悪いことをすれば村八分にする。
良くも悪くも, そして程度の差はあれど, 現在もなお日本社会の行動原理になっています。
他国に比べて町がきれいだとか, 落とし物が帰ってくるとか, 日本社会の良さは多くありますが,
それらの多くはモラルの高さではなく村八分の思想がなせる結果なのではないかと思っています。

法に基づかない社会的制裁の問題は, 公平性の欠如です。
公務員や一般のサラリーマンにとって免職や退職金が支払われないということは,
生活の基盤を揺るがす大きな罰則になります。
しかし, 自営業の一部や富裕層にとってはたいしたことではありません。
しばらく前に自民党の権力者と姻戚関係になった元人気アナウンサーが死亡事故を起こしたとき,
一般人と違って逮捕拘束をされず, 不平等な扱いだとネットで炎上したことがありました。
「上級国民」という言葉を良く目にするようになったのはこの事件以来でしょうか。
一日も拘束されることなく, 100万円の罰金刑が下されました。
法律的には突出した高額の罰金のようですが, 上級国民にはなんでもありません。即日納付して終わりです。

罰金ですら, 罰則としての意味が貧者と富者ではその意味がことなるのに, 社会的制裁となればなおさらです。
会社経営者は免職にはならないのです。まして上級国民となれば名前が報道され批判されるのも一時のことで, ましてや村八分になどなりません。
東京オリンピックのロゴで盗用が発覚して社会的批判を受けた著名デザイナーがいました。
ネットでは「デザイナーとして終わり」とかぼろくそに批判されました。その人物はその後どうなったのでしょうか。
その後が報道されませんのですでに社会は忘れ去っていますが, デザイナーとして終わったのでしょうか。
かけだしのデザイナーならば終わったのかも知れませんが, 上級国民には社会的制裁などないも同然です。
今も一流のデザイン事務所として活動し, 公共からの依頼を引き受けているといいます。

法を犯した者に対しては法に基づいて公平に処罰されなければならないと思います。
懲戒免職で退職金なしなどというのでは公平性が保てません。
そろそろ村八分の思想を止めてモラルと法に基づく社会になってほしいものです。