コロナ禍で多くの学校行事が中止となっています。
運動会が出来なくなってかわいそう・・・
合唱祭や音楽祭が中止になってかわいそう・・・
修学旅行が中止になってかわいそう・・・
ネット上はもちろん, マスコミの報道でも上のような意見であふれています。
特に, 昨今ではオリンピックとその関連行事に対する政府のダブルスタンダード的扱いへの批判もあって,
その勢いは止まりません。
ところで, オリンピックへの政府の姿勢の是非は別にして, ここでは別の視点から考えてみましょう。
いくつかのアンケート結果などもありますし, 自分自身の経験からしても,
児童生徒の皆がみな学校行事の中止を嘆いていたりはしません。
運動会の雨天中止を願う小学生は多数派ではないかも知れませんが確かに存在します。
合唱祭や音楽祭, そして修学旅行ですらやりたくない, 参加したくない児童生徒はいるのです。
修学旅行と運動会や合唱祭などは質が異なる点があるので,
ここでは運動会について考えます。
小生は体力もなく, 脚も遅く, 運動神経も劣っていたのか体育全般が苦手で毎年運動会の雨天中止を願う小学生でした。
ここで, 自分が小学生だと思って次のようなことを想像してみてください。
たとえばあなたは努力はしているのだけれども理科が苦手で不得意(クラス最下位レベル)だったとしましょう。
学校行事として全員参加で理科コンテストが行われます。
保護者も見に来て, その見ている前で理科のテストを解くのです。
その場で採点をして, 成績上位者だけでなく最下位の者まで名前と得点が発表されます。
そしてクラスの成績の合計でクラスの順位まで決定されます。
そんな行事にあなたは参加したいですか?
小生ならば学校が火事にでもなって行事が中止になることを祈ると思います。
だからといって放火まではしませんが・・・
こんな行事は現実にはありません。
授業で理科のテストはありますが, できの悪い生徒の成績が名前とともに衆人環視の下に晒されることは
(昔はともかく今は)ありません。
まぁ, 成績の良い悪いはなんとなくお互いに判ってしまいますが, あからさまに晒されることはないのです。
でも運動会は現実に存在し, 運動の不得手な者は衆人環視の元で晒されるのです。
自発的に参加した競技であれば
せいいっぱい頑張ったことで充実感を持てることも場合によってはあるでしょう。
しかし好きではない種目でも全員参加が強制される運動会でそのように思うことは小生にはできませんでした。
まして大勢の前で晒されるのでは, 恥ずかしく, 屈辱感しか感じられませんでした。
運動が得意な児童生徒の活躍の場を作るのは良いことですが,
屈辱感を感じる児童生徒が生じない配慮が欲しいです。
全員強制参加にするべきではないと思います。
それぞれに適した活躍の機会を皆に与えて欲しいものです。
しかし, そのためには教員の数と教育予算が・・・・・・