私見偏見独白

No.000-43 学校で事故に遭う

数年前に我らが群馬県の県立高校で, 投擲されたハンマー投げのハンマーに当たって生徒が死亡する事故がありました。
部活動の時間が終わり後片付けを指示して顧問が離れた後での事故だったと記憶しています。
ハンマーを投げたのは引退した上級生で, 部活動を終了して顧問が場を離れたあとに, 下級生の女子生徒を指導するためだったのか, 軽い女子用のハンマーを投げ想定外の遠くまで飛んだことが原因のひとつでした。
報道によれば, 管理責任を問われた県は賠償金を支払い和解し, この生徒の責任は問われませんでした。
また業務上過失致死に問われた顧問の教諭は昨年末に不起訴が決まったようです。
そして先日, 今度は岩手県の県立高校で再びハンマー投げの事故が起こりました。
ひとりは軽傷ですみましたが, ハンマーが頭に当たったもうひとりの生徒は意識不明で入院中だとか。
回復を願うばかりです。

今回の事故は部活終了後ではなく部活中の事故でしたが, 顧問は職員会議の最中で現場にはいませんでした。
以前の事故がそうであったように顧問の責任を追及する声が多いかと思いきや, ネット上では意外に顧問に対して同情的な意見が多く見られます。
最近の部活動, 特に顧問教師の過重な労働が問題として認知されてきているという背景があるためかと思われます。

学校における部活動中の事故は, 設備の問題と指導者(顧問)の問題が主要な原因と考えられます。
前者に対しては, 安全確保のできる十分な設備のない学校ではできない部活動があることを認めなければなりません。
生徒会活動などをやっていれば, 新しい部活を作ろうと思ったときにぶつかる最初にして最大の問題がこれです。
しかし, すでにある部活や有力な競技団体を有する種目であると, 設備の問題があっても廃止などできそうもありません。
少子化による生徒数の減少も考えれば, 学校ごとにできる競技を決めて十分な施設をととのえ, その種目をやりたい生徒はその部活のある学校に進学するという形が良いのかと思います。
しかし, そうできない事情もあります。
我らが祖国のスポーツ行政は, 学校の部活動を中心に考え, 各種の大会を競わせることを生徒や顧問の動機付けとする考えです。
その代表が高校野球ですね。
これを変更するのは各競技団体の抵抗があって難しい感じがします。
野球部が, サッカー部が, 陸上部がある学校は地区にそれぞれひとつだけなんてなったら, 地区予選ができません。

後者の指導者の問題に対しては, このところ教師の働き方の見直しのテーマとして社会の認知が進んでいます。
教員の正式な業務ではなく, 自主的にボランティアとしてやっているという建前が限界に来ているのでしょう。
社会体育へ移行させるか, 教員ではない専門の部活動指導者を用意することが本質的解決策です。
しかし, 社会体育への完全移行には競技団体のみならず, 保護者の反対も強くあります。
また専門の部活動指導者を用意するのは教育予算の大幅な増加が必要となり, そんな気のない政府の元では実行困難な方法です。

さらに社会体育にするにせよ, 専門の指導員を雇用するにせよ, 指導者個人の資質の問題が残ります。
それが大きな問題であることを端的に示しているのが柔道です。
世界中で, 柔道で児童生徒の死亡事故が起こるのは日本だけと行っても過言ではありません。
日本の倍以上の柔道人口を誇るフランスでは, 柔道中の事故による死亡事故は記録にないそうです。
一方, 我らが祖国日本では1983年以降, 121人の死亡事故が学校で起きています。
もう禁止にならないのが不思議なレベルの死者数です。
このことは, 単に専門の指導者を用意すれば良いというだけではなく, "きちんとした"指導者が必要だということです。
その育成は行政と競技団体の責任といえます。
しかし, 中学高校大学の部活, プロアマ, あらゆる競技で理不尽ともいえる先輩後輩の関係, 指導者と競技者の主従関係,
そして精神主義, 根性主義, 勝利至上主義, そしてそれを後押しする商業主義がはびこる 現状を考えるとなかなか希望を見いだすことができません。
この意識は指導者を通じて競技者にたたきこまれ, 次の指導者として再生産されています。
異論をとなえる競技者は排除されているのでしょう。
競技団体のトップが自ら意識を変えることは起こりそうには思えません・・・