先に(000-35)安倍政権が長期に維持できた理由を考察してみました。
安部首相の個人的な性格を理由のひとつにあげたのですが,
安部首相が思うだけでは長きにわたった慣例や前例を破るのは簡単ではありません。
トランプ大統領は安部首相以上にめちゃくちゃな政策を口にして実行しようとすることが多々ありますが,
政権内部の担当者がわざと無視したり店ざらしにして取り返しのつかない事態を防ぐことがあったと,
ニュースや暴露本などで漏れ聞くことがあります。
安部首相のモラルや慣例を無視した政策もそれを支持して推し進める "愉快な仲間たち" がいなければここまで実現はされなかったと思います。
安部以前の官僚がまさにその役目を果たしていたわけで,
内閣法制局などが憲法をはじめとする法の解釈をきちんと守ってきたのです。
日本は政治は三流でも官僚が優秀だからと言われたゆえんです。
しかし, それも第二次安倍内閣によって官僚人事に関する法律が改正され内閣人事局が作られたことで様変わりします。
意に沿わぬ官僚を首あるいは左遷して自分に忠実な人物を後釜に据えることができるようになったのです。
最近の検察人事では望みの人物の不祥事でちょっと失敗しましたが,
ほぼすべての部局で "お友達" を権力の座にすわらせたのです。このことが "お友達内閣", "忖度政治" と揶揄された理由です。
歴史を振り返って見れば, 旧憲法下で急速に軍国主義化が進められ, 軍部の独裁を可能にしたのは悪名高き治安維持法などではなく
「軍部大臣現役武官制」
という一見地味な人事に関する法律でした。
これは当時の内閣にあった「海軍大臣」と「陸軍大臣」は現役の軍人から選ばなければならないという規定です。
これによって総理大臣は軍部の意向に従わざるを得なかったのです。そうしなければ海軍も陸軍も
大臣をださないので, 組閣ができず総理大臣は辞職せざるを得なくなるという仕組みですね。
このように人事を支配することが, 近代国家では政治を支配することになります。
安部首相の支配力の根源だったわけです。
しかし, 支配することができても実際に実行する人物がいなければ権力も絵に描いた餅です。
自民党でその実行力を振るうのは, かつては財布を握っている幹事長だったのですが,
内閣による支配が強化され官邸政治といわれる安倍内閣にあっては官房長官になっていると言えます。
そう, 菅官房長官ですね。
その菅官房長官が次期総理大臣と目されています。
総裁選挙はこれからですが, すでに次期総理大臣としてすべてのマスコミが扱っています。
この総理大臣は非常に恐ろしい気がします。なにしろ慣例や法解釈, モラルを無視した政策,
とりわけ民主主義としてはどうかと思われるマスコミやネットへの圧力や工作, 公文書の隠蔽や改竄に直接かかわってきたと
思われる立場にいた政治家です。
これまでの記者会見などの発言からもわかりますが, 安部首相は野党議員や記者から追求された場合に,
原稿の棒読みや関係のないことを延々と話すなど時間稼ぎとはぐらかしで切り抜けるのですが,
菅官房長官は違います。
「そのようなことには当たらない。」
「あなたに答える必要はない。」
などと直球で全否定することがしばしばでした。
まさに安倍内閣の実行責任者の言葉です。
かつてのレーガン大統領のように超タカ派として大統領に当選しながら穏健な対応をとることも多かった事例もありますから,
菅官房長官が総理大臣の座についてこれまでどおりの姿勢をつづけるとは限りませんが,
そうなる可能性は個人的には低いと思います。
その理由のひとつは, 菅氏は自民党の政治家にはめずらしいたたきあげの政治家で,
大きな地盤も看板もなく地位をあげてきた政治家だからです。
自分の努力や苦労を高く評価し, その結果その思考に強い生存者バイアスがかかっていると思われます。
そのため, 社会的な弱者や貧者にたいして
「十分な努力や苦労をしなかったからだ」
という自己責任論で評価を下すことになります。
次期総理としてのスローガンとして
「自助, 共助、 公助」
をかかげていますが, もちろん自助と共助がその中心であることはその言動からもあきらかです。
これを正す機会は次の選挙でしかありませんが・・・選挙民がアンダーコントロールにあるので希望が持てません。