私見偏見独白

No.000-35 モラルを欠いた民主主義

24日, 安部首相が連続在職期間の最長記録を更新しました。
これまで長期の政権を維持した首相は, その善し悪しは別にしてなんらかの大きな実績がありました。 近頃では"レガシー"などと呼んでいるようですね。

そのレガシーになるような国民に支持される目立った功績が安部首相にはなさそうに思えます。 気持ちとしては東京オリンピックをレガシーにしたかったのでしょう。 コロナ禍で延期になってしまいました。 国民を分断するような憲法解釈の変更や安保関連法制など歴史の歯車を動かすような"実績"は ありますが, 幅広い支持を得ていたとはいいがたいでしょう。 むしろ消費税の増税など不人気の政策を多く実施してきたといえます。
それにもかかわらず, これほどの長期政権を築けたのはなぜでしょうか。

民主主義という制度の利点は, 極言すれば政権の交代を国民が選べるという一点にあります。 残念なことに, 日本人の文化や国民性, 選挙制度などによってこの最後の防波堤があまり機能していません。 しかし, それは過去の政権でも同じ状況でした。 安倍内閣が長期の政権を維持できた他の内閣にない理由はどこにあるのでしょうか。

野党がだらしないから。
代わりの人材がいないから。
これらも過去ずっと言われてきたことで, 安倍内閣特有の事情ではありません
長期政権が維持できた最大の理由は, 安部首相のモラルのなさではないかと思います。 いや, 単なるモラルのなさではなく, そのモラルのない行動をあからさまに実行することができる安部首相個人の性格によるものと思います。

どんな法律や制度も最終的には個人のモラルあるいは常識に依存します。
たとえば, 殺人犯がいたとしましょう。 これを刑事が友人だからと故意に見逃すことはその上司が許しません。 では上司も故意に見逃すことにしたら・・・。
そのまた上の上司, 警察署長や警視庁, 検察庁(?)が許さないはずです。 そこでも故意に見逃したら法務大臣が逮捕を命じるでしょう。
これは指揮権として法務大臣に認めらた権限です。 その法務大臣が指揮権を発動しなかったら, 内閣が法務大臣に指揮権の発動を命じるはずです。
ではその内閣も故意に見逃すことにしたら ・・・ 制度上はもうどうしようもありません。 そんなことがあれば選挙で政権が交代するはずです・・・本来は。

逮捕を命じるのとは逆のケースですが, 実際に指揮権が発動されたことがあります。
1954年, 検察が時の幹事長佐藤栄作を汚職の容疑により逮捕を決めたとき, 直前になって当時の犬養法相が検察に対して捜査の終了を命じたのです。 佐藤幹事長は逮捕を免れました。 犬養法相はそのすぐあとに(政治家として恥じたのか)法務大臣の職を辞しています。
しかし, このあとの選挙で政権は交代していません。
残念ながら日本では最後の歯止めがきかないのです。

下部組織の不法や怠慢をただすという本来の趣旨を外れた指揮権の発動を 法律は想定していませんし, それを防ぐ法律はありません。
しかし, 1954年のこの例を除けば, 国会の慣例や前例, 良識や常識という名のもとでモラルはなんとか機能してきました。
その慣例や前例などをためらいなく破ってきたのが安倍内閣です。

それは過去の悪習を改めるというような良い意味ではありません。 法の隙を突くような脱法的な行動をとれるというモラルの欠如です。
平然とあからさまな嘘がつけ, 自己を恥じることもなく, 歴史の評価などものともしない。 モラルと良識を放棄できる。 これこそが安部首相の強さであり, 長期政権を可能とした理由ではないかと思います。

安保法制, 消費税増税, 憲法解釈の変更, 公文書の破棄や改ざん, 憲法53条に基づく野党による臨時国会開催の要求の無視, 記者会見での質問制限やそもそも会見をしないなど。 すべて国会や内閣のこれまでの慣例や常識を無視した手法で乗り切っています。

慣例や常識は破られ続けるとその力を失います。
政権交代がおきないかぎり, 党内事情で別の首相に代わったとしても, 政治にモラルと常識は戻らないと思われます。
そして政権交代が実現した場合でも, より独裁的なファシズムが政権を担うという恐ろしい未来図が待っているかもしれません。
その可能性が低くないことを歴史が示しています。
モラルのない民主主義はファシズムに変わるのです。


大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!
(ポンパドゥール夫人)