コロナ禍の話題ばかり続くので, 今回は別の話。
知識だけを問うのではない入試という話題で,
不二聖心女子学院中の2019年の問題がネットに取り上げられていました。
「あなたが誰かのために何かをした経験について、三百字以内で作文を書きなさい。」
誰かのために何かをするという行動を描いた短い物語が参考として与えられていたようです。
さて, どのような解答が満点解答になったのでしょうか。内容? 表現力? 文章力?
スーパーに買い物にいったりすると母の日や父の日などのときに,
小学生低学年くらいまでの子どもの絵が飾られていることがあります。
小学校などに協力してもらってか, あるいはコンテストみたいな形で募集した作品かもしれません。
その作品を見て思うことは, 小さい子どものときから絵の上手さに歴然とした差があることです。
物事を見る感性, それを表現する感性、 はっきりと差があります。美術教室に通っているとか,
絵画の技法を学んでいるとか以前の差ではないかと思います。
作文もそういった差が歴然と出る分野だと思います。
あまり良い例ではないのですが・・・
1988~1989年にかけて大きな話題になった連続幼女誘拐殺人事件の犯人が逮捕されたとき,
犯人の生い立ちや趣味などがTVでさかんに報道されました。
犯人は特別にアニメオタクというほどではなかったのですが,
なぜかアニメオタクのような報道がされ, アニメやオタクへのバッシングが強まるきっかけになりました。
そんな報道のひとつで, 犯人が小学校低学年(2年生?)のときの作文がTVで流されました。
じっくりと読めるほどの長い時間ではありませんでしたが,
短い作文だったのでTV画面からでもざっと読むことができました。
海にいったときの思い出を書いた作文だったと記憶していますが,
これがとても小学生の, それも低学年の児童が書いた文章とは思えない素晴らしい作文でした。
新聞などで小学生の俳句や短歌, 作文などが載ったりすることがありますが,
それらと比べてもレベルが違うという印象を受けました。
感性や表現力などがかかわる芸術の世界では天賦の才がはっきりとでます。
音楽の世界などは今更あげるまでもありませんね。誰しも認める天才であふれています。
さて話をもどしましょう。くだんの入試問題ですが, 受験者の何を評価するのでしょう。
一定以上の文才があると,
どんなに感動的な文章を書いたとしても, その文章から
書き手の性格や人格をはかることはできません。
評論文ならば文章力以外の学力や知識もはかれますが, 心情を書いた文章ではそれははかれません。
文章の才と人格や学力は別物です。儒教の影響なのか,
ひとつの分野(とくに芸術や文系の学問)で優れている人物は人間としてもすぐれているという印象をもたれがちです。
私立の高校などで甲子園を目指すという目的のために,
学業や素行などは不問として, 野球の才能のあるものを集める入試はあり得るのかもしれません。
しかし, 小学生が対象の入試ではどうなのでしょう。
まぁ話題性のために, くだんの問題に着目しているだけで,
普通の知識や常識, これまでの学力を問う問題もだされているものと思います。
教育改革などで総合的評価など, 学力や知識以外のものがウェイトを高めていますが,
個性や人格ができあがった高校生より上の年代は別にして,
子どものときからそういったものを評価に使うべきではないと思います。
それに,
大学入試においても, これらを重視するのは疑問です。
総合的判断ではかろうとする学力や知識以外の能力は, 合否基準ではなく入学後に養う(教育する)力かと思います。
天賦の才だけではなく, この種の判断基準は家庭の経済力に強く影響されるので,
学力だけの勝負でなくなると貧乏人のワンチャンがなくなってしまいます。
一部の有名私立小学校などを別にして, 親の経済力を入試の合否の基準にしたら批判が集まりそうですが,
さまざまな体験や社会活動を総合的評価という名目で合否の基準にすることで,
同じ効果を持たせることができてしまいます。
海外への留学や旅行の経験がある, 多くのボランティア活動をしている,
芸術やスポーツなどの習い事や活動をしている・・・
いずれも家庭の経済力に大きく依存します。
もうだいぶ以前から東大の学生は富裕層の家庭の子どもたちで占められているのですが,
将来は超富裕層の学生ばかりになりそうです。