私見偏見独白

No.000-10 500ml の水筒に 1000ml の飲み物を入れる話

パズルの話ではありません。
コロナ禍を機会に「あたらしい生活様式」なるものが提唱されています。 なんだか戦中の様々なスローガンが思い出されます。(歴史でしか知りませんが・・・)

・欲しがりません勝つまでは
・贅沢は敵だ
・足りぬ足りぬは工夫が足りぬ
・パーマは国策に反します

最後のものはコロナ禍にあっては「自粛警察」,「マスク警察」でしょうか。
教育の分野では最後から二番目を実践しているのか, 手作りのフェイスシールドやらいろいろな工夫がニュースに取り上げられています。
戦中の「こうすればサツマイモの葉っぱや蔓も食べられる」的な雰囲気を感じてしまうのは小生だけでしょうか。

閑話休題。

タイトルの話に入りましょう。
これは「教育論議」のたとえ話です。
いまあちこちで見かける論議は, この問題に例えれば次ようなものです。

・ろうとを使えばこぼさず全部はいるのでは
・スプーンを使って少しずつゆっくりと入れれば入るかも
・コーヒーやジュースを入れようとするから入らない。ただの水なら入るのでは
・水道水だから入らない, ブランドのボトル入りの水ならはいるかも
・そもそも気構えが足りない。根性でいれるべし
・愛国心があれば入る

馬鹿である。阿呆である。

解決のための唯一の方法は, 1000ml 入りの水筒に交換することです。
これを, たとえではなく現実の教育問題に即して言えば

・教員の数を増やす(2倍3倍のレベルで)
・クラス定員を20人とする
・事務職員を増やし, 教員の雑務を減らす
・ICT機器やエアコンなどの環境を整える(保守運用の要員やランニングコストも含めて)

などとなりますが, これを実現する唯一の方法は教育予算を増やすことです。必要なだけ大幅に。
現場の教員の創意工夫や心構えのレベルではありません。
そんなことは誰でも判っているはずですが, これを主張すると「予算がない」と返されます。 そして教育予算が足りないのは税収がたりないからと言われます。

この「税収が足りないので教育予算が十分にはとれない」というのは実は誤りです。
(次回へつづく To Be Continued......)